オレがサンデーに持ち込みをしていた頃の話
サンデーの新編集長が強気な声明文を出しましたね!
新人作家さんの育成を絶対的な使命とすると。
たしかにここ数年のサンデーは荒川弘、大高忍など、新人は育てなくても、育った果実をよそからもぎとってくればいいんじゃね?的な編集方針なのかなーという空気を1読者として感じてはいましたけど、まさかここまで大きく改革を打ち出すとは思ってなかったです。
ケンイチ、メジャー、月光条例あたりが終わってから買うのやめてましたけど、また買い始めようかと思います!メジャー2、コナンは単行本買ってますしおすし。
かくいうオレも、今から7、8年前にサンデーに持ち込みをしていた「オレは社会の歯車になんかならない!好きなことをやって生きていくんだ!」人間でした。
今も昔も変わらないとは思うんですけど、漫画家の出世コースというのは以下のパターンが一般的でして。
1持ち込みに行く
↓
2担当がつく
↓
3担当と新人賞に向けて原稿を描く
↓
4新人賞をとる
↓
5読み切りのネームを担当と作る
↓
6掲載会議で通る。原稿作成。
↓
7○○賞受賞の新人デビュー!として増刊に読み切りが載る。
と上記の7段階を経てデビューとなるのが通例なのです。
オレの場合はといいますと、
持ち込みした作品がそのまま新人賞をとってしまいましたので、
1→4→5→6→7というちょっと早いデビューでした。
ギャグマンガだったので、絵の上手さが問われなかったというのが受賞が早かった一番の理由だと思います。
ギャグは絵がヘタでも賞がとれる!
これはどの雑誌にも通じる真実だと思います!
まあこれはあくまで一般的なパターンなので、例えばハヤテのごとくの作者みたいに新人賞をノー受賞でもそのまま増刊で連載デビューということもあります。すごいです。
大賞の場合はそのまま受賞作が本誌掲載になったりもします。
最近はWEBでのデビューとか色々な入り口が増えてきたので、もっと自由に漫画家を目指せるようになってるとは思いますけど。
あくまでオレの体験談として語ります。
それでですね。ここ重要なんですけど、新人の読み切りが本誌にいきなり載ることなんてほぼなくてですね。
まずは増刊デビューを目指してみんな頑張ります。
ジャンプでいう赤丸です。
オレも上記の7までは頑張りましてその増刊に2回載りました!
パチパチ。
ただアンケートが死ぬほど悪くて。
新人ロワイヤル的なやつで圧倒的最下位という「ああ、オレって才能ないんだな」と一瞬で思い知らされるほどの清々しい名誉を受けたりもしました。
で、その増刊なんですけど、サンデーには週刊少年サンデーと、その増刊であるサンデー超という雑誌があります。
この2冊の雑誌は同じ編集部で作っている兄弟誌といっていい雑誌なのです。
オレが持ち込みをしていた8年前あたりのサンデー超ではたびたび新人王決定戦みたいなものをやっていて、そこでの優勝者が本誌に載る権利を得られるといった企画となっていました。
現在サンデーで「キャラクタイムズ」を連載している萬屋不死身之介先生もその常連の一人でして。
桃太郎パロディの新人賞受賞作から、オズの魔法使い、オタク天使など、くっそー!なんでこんなおもしれーんだ!萬屋先生!サインください!!と思わず読み切りを切り抜いてオリジナル不死身之介短編集を作ってしまうほどサンデー超は毎号買って熟読していました。勉強のためにです。
大体漫画を描こうという人間は、ワンピースとかナルトとか、とにかく壮大な漫画を描きたいものなんです。
逆に読み切りで終わるような短い漫画を読む機会というのは極端になくてですね、ネームの段階で10本、20本平気で没にされる新人にとって、雑誌に載る読み切り漫画とはこういうものなのだ!という道しるべにもなっていたわけです。
余談ですが、萬屋先生や「オニデレ」のクリスタル先生らがしのぎを削っていたサンデーの次期ギャグ作家枠の中で、サンデー超をすっとばしていきなり連載をとったのが、あの「やおよろっ!」です。
あのと言っても知らない方も多いかも知れませんが、ごぼう抜きともいえるスピードで本誌デビューから連載までの階段を一気に駆け上がっていった作品でした。
まさにハヤテのごとくです。
この頃のサンデーはハヤテ、神のみといったオタク向け漫画が主流になっていた頃で、この「やおよろっ!」という漫画もその流れに乗った、ハヤテ風のデジタルな可愛い絵柄の漫画。可愛い女の子がすることだから、優しく見守ってね!的な感じの!
レトルトカレーを擬人化した女の子が、熱湯を沸かしてる鍋のふちに立って、
「絶対押すなよ!絶対押すなよ!…押してよおおおおおおお!!!」
とかする作風でした。
ってこう書くと面白そうですね!面白いと思った方はぜひアマゾンでポチってみてください!
話戻ります。
その後、隔月だったサンデー超が、月刊になります。
それに伴い、新人の読み切り枠は大幅に削られ、独自の連載漫画を載せる方向に雑誌がシフトしていきました。
そしてその後にゲッサンが創刊。
サンデー超とゲッサン、2冊もあったらデビューの場が倍になるじゃん!
ウハウハやん!
と一瞬ウハったオレですが、
「キミの担当は編集長側だからゲッサンはないね!」
とアシ先の先生からばっさり言われて、現実の厳しさを思い知りました。
※ゲッサンは当時の副編集長が創刊した雑誌
どちらにしろ、連載に向けて担当とネームを練っていた時期だったので、ゲッサンはなくても、サンデー超の連載枠が増えるだけでもチャンスだなと前向きに捉えていました。
が、ダメ!!
圧倒的没!!!
半年かけて担当と作ったネームが余裕のぼっつ。
絶対いけるよって言ってたじゃーん!
絶対いけるからどんどん続き書いてよ!っていうから15話もネーム書いちゃったよ!!
どうするんだよオレの半年とこの15話分のネーム!!!
WEBでもいけるかもしれないから掛け合ってみるっていってたじゃーーーーーん!!!
その頃、もう26歳になっていたワタクシ、もう諦めるしかないと思ってサンデーを去りました。
サデと共に去りぬ。
まあ去るといっても、入れもしなかったんですけど。
長々書きましたが、今回のサンデー新編集長の新人育成宣言に熱いものを感じまして。
オレも熱いブログを書いてみました。
ところで社会に出ると、漫画家志望だった時代が完全に黒歴史化するのはオレだけですか?
昔漫画家目指してたんですよ、とかアシスタント行ってたんですよ。
とかいうの死ぬほど恥ずかしいですね。
なんか見下されそうで。